一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

新年を迎えて

新年を迎えました。

今年もよろしくお願いします。



息子のいないお正月も今年で3回目

気持ちはおめでたくなくても、例年のしきたり通り準備しました。


家族3人で迎えるお正月は、どこか隙間風が吹いているような、重石がないような、落ち着かない淋しいお正月です。

きっと一緒にいてくれている…

お雑煮、おせち、大好きだったブリの照焼きを息子のお膳にも並べたけど…

姿が見えないのは悲しいです。


子供達のお宮参り、七五三、毎年の初詣で、

節目ごとに足を運んだ神社へ今年もお参りに行きました。

笑顔でお正月を迎えていた頃の息子との思い出が蘇り、さらに家族連れも多くいて、気持ちの萎える辛い初詣ででした。


お正月のもう一つ辛いこと、それは年賀状です。

近況報告を兼ねたそのハガキには、子供が就職しました、結婚しました、孫ができました…

それぞれに幸せそうな報告が書かれています。

幼い頃一緒に過ごしたママ友の幸せな報告が身を切られるように辛いです。


何が違ったんだろう。

何がいけなかったんだろう。

どうして息子の未来は消えてしまったんだろう。



中高一貫校で親しくお付き合いのあった部活の母達からの年賀状はことさら辛いです。

高校を卒業して8年

その間に3回程の集まりがあっただけ、ずっと年賀状の交換だけのお付き合いが続いています。

もちろん息子のこともご存じのはず、だから気を遣ってハガキの内容も子供のことには触れずにいてくれている、その配慮には感謝しています。

でも名前を見る度に、楽しそうに仲間達と戯れていた息子の姿が浮かび、苦しくなるのも事実です。


息子が亡くなり、もう二度と会うこともないであろう人達との年賀状に何の意味があるのだろう。

相手方も突然辞めるわけにもいかず、言葉を選びながら気を遣いながら出し続けているに違いない。

惰性で続けているこの関係を断ちたい、そう思ってしまう自分がいます。



記念日、行事は嫌です。

記憶にしっかり刻まれている思い出がありすぎて、

どうしても今のこの現実と照らし合わせてしまうから、悲しみがより一層深くなり、また暗闇へと落ちていく。


引っ越しの気忙しさで少し紛れていた悲しみがまたぶり返してきました。

こんなことの繰り返し…



娘の幸せ、

そして別世界で暮らす息子が笑顔で過ごせること、

祈るだけです。