つくし
この地に越してきて5ヶ月、
家から一丘越えるとそこは畑、畑…
朝晩の犬の散歩も今までとはまるで違う景色の中を歩く。
人影ない道を、誰にも遠慮することなく息子に語りかけながら、歌を歌いながら、歩く夕暮れの散歩は私の癒しの時間、
同じ県とは思えないほどの景色に驚きと感動を味わっている。
先日、農道を歩いているとつくしが群生していることに気が付いた。気にして見るとそこにもあそこにも…
あるはあるは、歩けばあちらこちらにたくさん…
数本を目にしたことはあっても、こんなに沢山のつくしを見るのは何十年ぶり。
つくし…懐かしいなぁ。
小学生の頃、毎年春になると父と土手につくし取りに行った思い出。
ただ、ただカゴいっぱいに摘み取るだけ、今思うと何が楽しくて取っていたのか疑問だけれど、春を感じる父と私の恒例行事になっていた。
ある年、食べられると聞いた私はカゴいっぱいに取ったつくしを母にお願いして調理してもらった。
小さなはかまを取る作業は大変だった上に、
出来た佃煮は驚くほど少なくなって、少し苦くて、
子供の私には嬉しい味ではなかった。
優しい父だった。
無口な人で、冗談を言うような父ではなかったけれど、私の話に耳を傾け、思いを理解してくれる穏やかで暖かい、陽だまりのような人だった。
つくしをきっかけに父との様々なことが思い出されて、久しぶりに父を思って涙が出た。
お父さんの娘でよかった、私幸せだったよ、
ありがとう。
亡くなって10年、
息子のことを知る前でよかったと思う。
息子に将棋を教えてくれたのも、
剣道部に入部した時、素振りに付き合ってくれたのも父だった。
父の言うことは絶対だった息子、
父の優しさは息子にもしっかり伝わっていた。
父の元に突然息子が現れた時、さぞかし驚いたことだろう。
怖い顔で一喝した後、息子の思いを聞いて、きっとぎゅっと抱きしめてくれたことと思う。
今は息子の側で優しく見守ってくれていると信じている。
いつの日かまた、父と息子に再会できることを願いながら、父から教わった人生の指針を胸に、踏ん張っていくしかないんだなと思えた。

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