愛犬と同じベットで一緒に寝ている。
明け方目を覚ますと私のすぐ横で静かに寝息を立てながらスヤスヤと眠る姿、愛しさが込み上げる。
息子の宝物だったから…
溺愛ぶりは呆れるほどだった。
朝起きてくると何よりも先、一番に犬を抱きしめ、フサフサの背中に顔を埋めるのが日課だった。
犬の方もそれが自分のお勤めだと分かっているようで、大好きな息子のお許しが出るまでじっとそれを許していた。
あの日、最後の日、
息子は愛犬に何と言って家を出たのだろう。
「今日でお別れだよ、ごめんね。みんなに可愛がってもらうんだよ」きっとそんな言葉をかけ、いつものように抱きしめて家を出たのだろう。
そんなことを考えてはまた涙が頬をつたう。
その時私は息子の苦しみも知らず、呑気に庭で花の手入れをしていた。
庭にいる私に「行ってきます」と声をかけ息子は笑顔で出かけて行った。
春めいた、暖かくてとてもお天気のいい日だった。
あの日からもうすぐ3年が経とうとしている。
毎日毎日ひたすら息子を想い、さまざまなシーンを思い出しては頭の中で繰り返す。
そんなことを続けて3年、あの時に見過ごした息子の思いに今更ながら気付いて愕然とすることがある。
あの時のあの言葉には別の気持ちが込められていたのかもしれない…
あの何気ない表情に隠された思い…
優しい言葉掛けが欲しくて言っていたであろうあの言葉…
自立心が旺盛で優しくて逞しい…
私が思っていた息子は真の姿だったのか分からなくなってきた。
本当は寂しがりやで繊細で、親にもっと甘えたかったのかもしれない。
必死に救いを求めていたのかもしれない。
一番側で見ていた母親でありながら、息子の自尊心で固められた表面しか見えていなかった。
当たり前過ぎて、この世で一番大切なものを大事にしていなかった。
また自己嫌悪。
もしも今、目の前に息子が帰ってきてくれたら…
あの頃より少しはマシな母親になっていると思う。
少なくとも息子を理解しようと同じ目線に立つ努力をするだろう。
今の私ならあの時の息子を救えたかもしれない。
息子の気持ちにもっと寄り添った言葉を掛けてあげられたかもしれない。
我が子に先立たれた親は永遠に癒えることのない悲しみの中で生きていくしかない。
お笑い番組を見て声を出して笑っても、
美味しいお料理に幸せを感じても、
そんな感情は一瞬で消え、またいつもの悲しいため息がでる
いつも息子の面影を探し、息子を想い、
再会できる時を夢見て生きている。
人は二度死ぬと聞いたことがある。
一度目は命尽きた時、
そして二度目は人から忘れ去られた時。
私は息子のこと、どんな些細なことも忘れない。
二度も死なせるなんて、私が生きている限り絶対にしない。
今も息子は私の生きる支え、
いつかまた会える日まで、耐えて踏ん張れる希望の光だから…