一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

息子の残したもの

梅雨らしい鬱陶しい毎日が続く

そんな蒸し暑さの中のマスク…

職場の緩〜い冷房の中でのマスクは不快指数MAXで、事務仕事にもかかわらず汗だく


そんな梅雨のせいなのか

最近何もやる気が起きない

やらなければならないことが山積みなのに無気力にボーッと、ほとんどの時間を息子のことを考え、ため息ついて、涙して…

その繰り返し…

食事の支度、愛犬の散歩でさえも億劫

ため息つきながら嫌々こなす毎日

周りの人の、自分と違う行動や考え方にもすぐにイライラしっぱなし…

私どうしちゃんたんだろう…壊れ始めてる…



こんな私の姿を見て息子は呆れているだろうな



最近の私…


失意のどん底

何もできなくて当たり前

息子に自死されて傷付いた可哀想な母親

生きてるだけで精一杯

わがままを許している自分がいる



そんな中、九州の豪雨被害のニュース

家が浸水、流され、家族が亡くなり、自分も被災しながらも周りの人を思いやる行動


どこから来るんだろう…

生きようとする力




世の中で起きている全てのことに意味がある

と聞いたことがある

自然災害も、人の死も、何もかも…




息子の死にはどんな意味があるのだろう

未来を… 限りない可能性を秘めた未来を自らの意思で断ってしまったそのことに何の意味があるんだろう

今はただ寂しくて、悲しくて、悔しくて、可哀想で

そんな思いしかない

息子は私達を悲しませるために生まれてきたの?


違う…

絶対に違う…

息子はいつだって明るい笑顔で、数え切れないほどの喜びと幸せを私達に運んできてくれたもの


私に、こんなに深く人を愛せること、愛する存在がいることの喜びを教えたくれたもの


息子が生まれてきてくれたこと、そして息子との別れを無駄にすることだけは絶対に嫌



希望を持って前を向いて生きる…

それは当分できそうにないけど…



息子が元気な時に気付けなかった、私の周りの大切なかけがえのない人、物

失ってから気付くのではなくて、その存在に気付く努力と感謝


まずは当たり前の日常を丁寧に生きること



私の手の届かない遠い世界へ旅立っていった息子

寂しさ、悲しみ、後悔

彼が私達の心に残していったものはそれだけではないはず

アンテナ張って、しっかりキャッチする努力をしないと…

泣いてばかりいては見えるはずのものも見えないよね



あとどれくらい待てば息子に会えるだろう

その時には胸を張って笑顔で息子を抱きしめてあげたい

「母さんよく頑張ったよ」って息子に褒めてもらいたい


その時を夢見て辛抱して生きていくしかないのかな

息子の面影

街中に出ると無意識に若い男性を目で追ってしまう。

息子と同じ年頃の子を…


あっ、あの髪型息子に似てる。

横顔がそっくり…

あのユニクロのフリース同じの持ってたな。

全く同じリュックを持っていた子もいた。


雰囲気の似た子、意外にも目にすることが多い。

その度に心乱されてしまうけど探してしまう自分がいる。


今日 交差点で信号待ちしていた時、横断歩道の向こうにいた青年。

黒のVネックのTシャツにグレーのジョガーパンツ。

あー、息子がよくしていた格好だなぁ…

何気なく見ていると、

マスクをしてスマホを触る首の傾け方、髪型までそっくり。

足をクロスしてる立ち姿まで…

見入ってしまった… 胸が高鳴った…

すれ違う時、私は車なのでほんの数秒だったけど、顔も驚くほど似ていた。

この状況でなければ「⭐︎⭐︎〜」と手を振ったかも


「今日○○歩いてたでしょ、見かけたよ」




あの青年、やっぱり⭐︎⭐︎だった?

もしかして⭐︎⭐︎は生きているのかも…

記憶喪失…

何か特別な事情があって帰りたくても帰れずにいるのかも…


いろいろ想像した。

本気で思った。



何か事情があるなら、今のままでいい。

1ヶ月に一度、いや半年に一度顔を見せに来てくれるだけでいい。

ずっと一緒にいたいなんて言わない。

生きていてくれるだけでいいから。




馬鹿げている…


警察から帰ってきたのは確かに⭐︎⭐︎だった。

抱きしめて頬ずりした冷たくなってしまった顔は確かに大切な大切な私達の息子だった。



今日見かけたあの子は自宅に帰りお母さんの手料理を食べたんだろうな。

息子みたいに笑いながらテレビを見て、たわいもない話をして…

あの子を宝物のように想う母親がいる。

街で見かける息子に似てる子達にはみんな家族がいて帰る家がある。


それが当たり前のこと。


それなのに我が家には息子は帰ってこない。

なぜこんなことになってしまったんだろう。

何がいけなかったんだろう。


こんな最上級の罰を与えられるほどの悪事を働いたかなぁ。

真面目に誠実にを心掛けて生きてきたつもりなのに。

最愛の息子を奪われるほどの罪を犯したんだろうか。



当たり前だと思って過ごしてきた家族4人揃った幸せな時間はもう二度と我が家にはやってこない。

ただ ただ、苦しくて悲しい…




私の心はまだあの時のまま…

全然前に進めない…


ごめんね ⭐︎⭐︎君

忘れたい記憶

87歳になる実家の母。


今年のお正月明けに転倒、骨折、入院。

わずか2週間の寝たきりの入院生活で筋力が落ち自力歩行ができなくなり、認知症状まで出始めた。


老人の骨折は命取りと聞くけれど本当。


7年前に父が他界したのをきっかけにシニアマンションに入居し、足腰が悪いと言いながらも天性の陽気な性格とおしゃべり好きで老後を楽しんでいる様子に安心していたのに…



我が家の夫は企業戦士…というか仕事一筋。

朝早く、帰宅時間も遅く、休日出勤も珍しくない夫の代わりに慣れない子育てを手助けしてくれたのは車で20分程のところに住む実家の両親だった。

私が病気した時も、会社を休めない夫に代わって子供達を預かってくれたり、料理を届けてくれたり…

親の有り難さを痛感した。

そのお陰もあって、子供達は親の言うことよりジジババを優先するジジババ大好きっ子になってた。



そんな母にとって孫の死はどれ程の衝撃だっただろう。


あの頃は、毎日TELで1時間近く話した。

私が泣いていると母が慰め、母が悲しみにくれる日は私が慰め…

くる日もくる日も息子のことを話した。

考え方が対照的な私達は時には衝突することもあったけれど、思いがけない考え方に気付かせてくれることもあって救われた。

何よりありのままの気持ちを話せる…

一緒に悲しんでくれる人がいる…

有り難かった。



骨折を機に介護度が上がり母は介護棟へ移り住むことに、その途端にコロナで面会禁止。

4ヶ月程TELだけでの会話だったが、先日30分の面会が許され久しぶりに会うことができた。


スタッフの方から聞いていたほど認知が進んでいる様子もなく、同じ話を繰り返すことはあるものの会話は普通通り、一見健康そうで安堵した。

私や娘の健康を心配したり、ナッシィ(犬)は元気?

と写真を見て笑ったり…


ところが話が息子のことになった時、

「⭐︎⭐︎君どうしてる?元気?」と母。

「えっ?」

「⭐︎⭐︎君どうしてる?」

「・・・」


「 ⭐︎⭐︎は死んじゃったでしょ…」

「えっ?  どうして?どうして?」

と大きく目を見開いて驚く母。

その顔つきに少し恐怖を感じ鳥肌が立った。

「病気・・、忘れちゃた?⭐︎⭐︎は亡くなったのよ…」


それ以上言葉が出なかった…

不思議な空気が流れた…


「忘れちゃったならいいよ、大丈夫だから…」

そう言うのが精一杯だった。

それっきり、息子の話しは終わった。



TELでも「忘れたい、思い出したくないから敢えて考えないようにしてる」と言って息子の話を避けていた母。

悲しみを記憶から抹消した?

防衛本能?

あの年齢になって孫の死を受け止めきれるはずもないもの。


帰りの車の中、涙が溢れた。

私の中でいろいろなものが…

大切にしてきた、ささやかだけど幸せな時間が…

すべて崩れ去る気がした。

母も息子も可哀想でならなかった。



帰宅して落ち着くと、

‘これでいいのかもしれない’と思えてきた。

大切に慈しんできた孫の死。辛い現実。

忘れられるなら忘れた方がいい。

残された時間を穏やかに幸せに過ごしてほしい。

母の心の中では息子は元気なまま…




その夜、息子のお仏壇に

おばあちゃんのこと許してあげてね。

⭐︎⭐︎のことが大好きなのは変わらない。

好きだからのことなんだよ。

と話した。


天真爛漫な母の行動にみんなでよく大笑いしたっけ。

息子の

『また〜?」呆れた笑顔が見えたような気がした。


でもね…

母さんはどんなことがあっても⭐︎⭐︎のこと忘れないよ。

あなたが残してくれた沢山の思い出は私の宝物。

僅かでも記憶が薄れるのは嫌…

苦しくても悲しくてもずっとあなたのこと鮮明に覚えていたい。


一緒に過ごした23年の歳月

怒ったり、笑ったり、肝を冷やしたり…

たくさんの感動ももらった…

様々な経験を通して、私の人生はより豊かなものになりました。

本当に楽しかったね。

ありがとう…


今までもこれからもずっと大好き。

永遠にあなたは私の宝物だから。