一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

息子の思い出 2

息子が帰宅すると家が明るくなった。

いつも陽気で穏やか。

私が怒ってもユーモアで返してくるので、拍子抜けして噴き出す時も…

だから大きな喧嘩にならなかった。


大好きなお笑い番組を見ては大きな声で笑っていつも楽しそうだった。


人の心の痛みのわかる子だった。

それは家族にも。

友人の息子さんはおかずにも不満を漏らすと母は嘆いているが、私の手抜き料理にさえ文句を言ったことがない。

それどころか、「これ失敗、美味しくないね」

と言うと、大抵「そんな事ない、美味しいよ」

と慰めてくれた。

人の欠点に寛大な子。



大学の入ってからは部活とお小遣いのためのバイトと飲み会に明け暮れていた。(あっ 勉強も・)

卒研で忙しく、研究室に泊まり込みの時でさえ、疲れた身体でバイトに行き、夕食も深夜だった。

「もう少しで終わりだから大丈夫」と言って…


難関校と言われている国立大を受験したいと言った時、勉強している姿をほとんど見ない私達は反対したが… 無事に合格。本当に嬉しかった。

いつもそう、自分の頑張りを人に見せたくない頑固者。


そういえば、息子が人の悪口、愚痴をこぼしている姿を見たことがない。


私達家族にたくさんの喜びと幸せを運んできてくれた。

感情で動いている私より人として上。



弔問に来てくれた友人達も

「いつもムードメーカーだった。⭐︎⭐︎が来ると場の雰囲気が明るくなった」

「チャランポランなところあったけど可愛くていつも手伝ってあげたくなる後輩だった」と先輩方。


大学ワンゲル部の方から頂いた500枚近くの写真と動画には息子が生き生きと輝いている笑顔があった。

素晴らしい仲間に囲まれて充実した時間を過ごしていた。幸せだったんだ と心から思えた。


一周忌にはお墓参りの後、私達にも会いたいと言ってくださり、我が家まで足を運んでくれた。

10人の男子が飲んで食べて大騒ぎ。

明るく楽しい思い出話。そこに涙は一滴もなかった。皆さんの温かい思いやりに感謝した。

男の子って本当にいいなぁ… 眩しいくらい…

みんなのことを息子と思いたい。

また来年もこんな時間が持てたらいいなぁ…

ずっと息子のこと忘れないでいてほしい…



2人の子供が成人し、子育てもひと段落。

愚かにも私は自分の子育てに何の心配もなかった。

それどころか何の取り柄もない私の唯一の自慢が子供達の存在だった。

ネットに、自死は子育ての最大の失敗 と書かれているのを見て愕然とした。

世間の評価はそうなんだ…

その通りかもしれない… 本当に愚か。



息子はなぜ逝ってしまったのだろう。


人を騙して傷付けて、犯罪に手を染めてでものうのうと罪悪感もなく生きてる人がいる。


真面目に、与えられた環境の中で精一杯生きていた息子は死んでしまった。


悔しくて、悔しくて、どこにこの怒りを吐き出せばいいのかわからない。


事実を受け入れるしかないのはわかっている。頭では分かっていても心が付いていかない。

理不尽さに納得できない。諦められない。


息子はこんな母をどんな思いで見ているだろう。


どうにもならないことに執着してのたうちまわって苦しんでいる私。

そのことで息子を苦しめているかもしれない。


喪失感、絶望と共存しながらも、残りの人生を楽しめるようになれるだろうか。

時々 失った悲しみを一切頭から消し去り、息子との楽しかった思い出だけに心を向けて明るく気楽に生きていきたい… と思うことがある。

でもそれは…大切な未来を失った息子に申し訳なくてできそうにない。



だいたい… そんな長く生きていたくない。

一日も早く息子のところに行きたい。




こんな私も生前は、息子の自分勝手な行動に腹を立てたり、早く自立して一人暮らしして!と思ったことも多々あった。

でも今浮かぶのは愛しい息子の姿・思い出ばかり。



今日は目一杯のろけのブログです。

不快に思われた方いらしたら… ごめんなさい。

今日だけは… 親バカを許してください。

はじめまして

私の宝物は

娘と亡き息子、そして柴犬の女の子 ナッシィ です。


私達家族 ずっと犬が飼いたくて…

でもペット禁止のマンション。

持ち家だったにもかかわらず思い切って住み替えることに。

犬如きで…と、友人に笑われ、呆れられ…

念願の柴犬の赤ちゃんがやってきたのが8年前。

それ以来我が家の宝物です。


当時高校生の息子の可愛いがりようは半端なく、抱っこしたり、背中に顔をうずめたり…

高校生男子も犬にはメロメロ…


食事時の話題の中心。

今日、こんなに可愛いかった⤴︎

恥ずかしい事した😥

悪さした⤵︎

いつも家族を笑顔にしてくれます。


普段は山岳部の友人との山行がほとんどだった息子もナッシィ同伴の旅行には喜んで参加してくれました。

そんな時は決まって独り占め、いつも抱き抱えてた。

お陰で10㎏越えにもかかわらず抱っこが大好きなワンコになりました。

だから息子の写真にはもれなくナッシィが…

遺影の写真も画像処理をしたものです。



弔問に来てくれた友人達も、息子の話は、4割ナッシィの話、4割山の話(山岳部だったので)、勉強その他2割。

頼んでもいないのに写真も見せられたとか…

親バカしてたのね。



大人しくて優しい女の子です。

泣いているとそっとそばに来て顔を舐めてくれます。

心配させてごめんね。


大好きな息子が突然帰らなくなって、理由もわからず寂しい思いをしているはず。


可愛くて、愛おしくて、健気…

同じ悲しみに耐える同志のように感じる時があります。

この子のためにも明るく振る舞わないと…


最近この子の中に息子も一緒に存在しているような気さえしてきます。


⭐︎⭐︎君、心配しなくて大丈夫。

あなたの分までみんなで大切にするからね。


息子のお墓はワンちゃんも一緒に埋葬できる霊園にしました。

天国でまた一緒に散歩できるといいね。


でも… まだ当分先の話ね…


息子の思い出 1

出先で見かけた光景。

道路の掘り返し工事の作業を眺めている3〜5歳ぐらいの兄妹を目にしました。

工事のおじさんのすぐ間近で、2人並んでしゃがみ込んでじぃーと観察…

工事のおじさんも苦笑い。

それを少し離れたところから母親らしき人が黙って見守っている姿でした。

なんとも微笑ましい光景。


思い出しました。

亡き息子も‘はたらく自動車‘や‘新幹線’が大好きで、同じ本を繰り返し繰り返し読まされたなぁ…

指差しながらたどたどしい口調で

「ミキサーしゃ・フォークリフトしゃ・・・」

「○○系しんかんせん…」

上が女の子だった私は、男の子の子育てが面白くて、楽しくて、とても新鮮に感じました。


街で消防車を見かけた時などは

『あー しょうぼうしゃ!』と大興奮。

喜んで手を振っていると、サイレンを鳴らしていない時は決まって皆さん手を振り返してくれて、幼子の夢を壊さないように対応してくれるのを嬉しく思ったものです。


忘れていた幼い時の記憶が蘇ってきてまたグッと胸が苦しくなりました。


可愛かったなぁ…

あの頃に戻れたら…



あなたを心から愛していること。

あなたは私達家族にとってかけがえのない存在だということ。

あるがままの姿でいい、ただそこにいてくれるだけでいいこと。


を繰り返し、繰り返し伝え続けるでしょう。


そうしたらあなたはもっと自分を大切にしてくれたでしょうか。


最愛の我が子を守れなかった母は懺悔の思いで生きています。