一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

来世に期待したい

先日悲しい知らせがありました


主人の弟、とは言っても一卵性の双子、

分身ということもあってか、とても仲がいい兄弟


昨年の秋、癌が見つかり、年末手術、そして今年に入りずっと抗がん剤治療を続けていた義弟から

転移が見つかったとの連絡


最近は体調も落ち着き、仕事もリモートで参加できるようになったと聞いて安心していたのに…

夫も私もショックが隠せません


離れているため、今の状況の中、お見舞いに行くことも出来ず、TELとメールだけでのやりとり

せめて顔を見たい、歯痒さを感じます


義弟には息子が2人いますが、

長男は30代半ば、小6からずっと不登校が続き、それ以来ずっと引きこもり

次男も大学を出て就職したにもかかわらず、転職を繰り返した挙句、今は無職

義弟自身は一流大学を卒業後、大手企業に勤めるいわゆるエリートなのに…


20年以上心労が絶えない日々だったことでしょう


息子達のことが心配で、今、自分にもしものことがあってはならないと必死に治療に向き合っている義弟、

思いやりのある人で、

結婚直後、慣れない主人の実家でオタオタしている私をいつも優しく気遣ってくれ、どれだけ助けられたことか…

息子の葬儀の時も黙ってずっと側にいてくれました



‘生きる’ってどうしてこんなに試練の連続なのでしょうか


恵まれた人はとことん幸せのオーラに包まれている

運に見放された人は次から次へと難題が押し寄せる


頑張っても頑張っても報われない人

この世の不公平さと、理不尽さを感じずにはいられません


生きがいであった息子を失い、

生きる希望を見出せずにいる私もその一人


そんな時に舞い込んだ悲しい知らせに

一層気持ちが沈みます




人は、自分で親を選び生まれてくる

人生の課題も自分で決めてくる、

以前本で読んだことがあります


魂を高めるための修行として、前世で体験出来なかった課題を自ら自分に課すとか…


私は前世でこの上なく幸せな一生を送り、幸せボケしてたのか…

逆縁の悲しみを自らに課してしまうなんて…


それならば、義弟も、私も、来世に期待していいはず

特別な幸せはいらない、ごくごく平凡で人並みの人生がいい


夫が、子供達が、優しくないとか、だらしないとか、

欲しい物が買えないとか、

小さなことを愚痴ったり、不満言ってる人生


人並みに…平凡に…

実はそれが何よりも幸せなことだと知ったから



また息子と一緒に…

⭐︎⭐︎と娘と、親子として生まれたい

来世に期待してしまいます

27回目の月命日

昨日は27回目の月命日

お天気に恵まれ日射しもある中、墓前に鮮やかに咲く花をお供えすることができた


息子と会えなくなって2年と3ヶ月

よくここまで生きてこられたなぁ…

が率直な今の思い

これから先のもっともっと長いであろう悲しみの日々を耐え抜いていけるかな…



今、私が息子にしてあげられること

食いしん坊な息子の喜ぶものをお供えすること

祭壇を綺麗な花で飾ること

般若心経を唱えること

そして何より、私がいつも元気で笑顔でいること


息子のためにそうありたいと思っていても

それがなかなか…難しい


ここのところ、また気持ちが落ち込み、何をするのも億劫で身体が重い



考えれば考えるほど

息子は私にとって大切な、この上なく大切な存在なのに…

どうしてこんなに大切な息子を守れなかったのか

自分の浅はかさ、愚かさを思うと

身の置き所がないほど苦しい


もっと注意を払っていれば…

息子のSOSに気付かず、お天気がいいからと、呑気に朝から庭へ出て花の植え替えなんてしてなければ…

出かける息子の顔をしっかり見て、思いやりの言葉をかけていれば…


もしかしたら、今も息子は私の隣にいてくれたのではないか…

後悔の思いに押し潰されそうになる



昨夜のNHKの特集番組

‘若者たちに死を選ばせない’

今渦中にある若者を救うために過去12年間の自死について分析しているという


そのデータの中には息子も含まれているのだ思うと

悲しい


人それぞれに事情は複雑でいろいろな偶然が重なって起きている…

データーから分析して・・・

がどれほど役立つのかはわからないけど、

自分の未来を絶つという選択だけはしないで欲しいと

心から願わずにはいられない


NPOの分析チームの方が語られていた

「自殺対策は常に手遅れ

亡くなった人がいて、打っている策だから」

の言葉に胸が詰まる



息子の大切な、大切な、輝いていたであろう未来を守れなかったこと

どんなに後悔してももう手遅れ


もう一度やり直すことができたらと、

気がつくと、あの子とどうにかして再会できる方法を真面目に考えている馬鹿な自分がいる


会いたい、会いたい、

息子にただ会いたいだけ、それだけでいいのに




墓前用に用意した花の中に向日葵があった

可愛くて、一輪だけ祭壇用に拝借




息子を花に例えると絶対に向日葵!


いつもケタケタと楽しそうに笑っていた、元気いっぱいの息子みたい


見ているだけで元気をもらえるところがそっくり


少しの我慢だね…

梅雨が過ぎれば向日葵の季節

私も元気をもらえそう

義母の法要に思う

今日も息子が恋しくて流したたくさんの涙


目にするもの全てに息子を重ね合わせ、思い出に浸っていると、忘れていた息子との思い出が甦り、息子と過ごした23年の歳月の幸せを噛み締める


一日中息子のことを考えてしまう、会いたいと願う


泣かずに生きていきたいと思っても、

笑って一日を過ごしたいと思っても、

息子を守ら切れなかった懺悔と後悔の思いが、

それを許してはいけないと言っている気がする


時々、

今日は息子が帰ってくるような気がして

足早に帰宅する

出かけると無意識に息子の面影を探している


今でも、

いつか帰ってくるような…

やっぱり息子はどこかで生きているような…

私の知らない所でもいい、元気でいてくれたら

と願っている自分がいる


浮かぶのは息子の無邪気に笑っている優しい笑顔

穏やかな声


これって、息子の死を受け入れられていないということなのかな




今日は義母の三回忌法要だった

義父も高齢で参列できず、

主人の弟も昨年末より体調を崩し、

コロナもあって、主人と義母の弟と私の3人だけの法要になった


主人のお寺では僧侶13名で同時にお経を詠みあげる

厳かで荘厳な法要

聴いてると気持ちが落ち着いて、

仏様に守られている、何も怖いものなどない

そんな気持ちにさせてくれる


年齢のせいなのか、息子のことがきっかけなのか、

お線香の香りとお経は私を癒やしてくれる


息子が逝って3ヶ月後に旅立った義母

『お母さん、⭐︎⭐︎のこと、よろしくお願いします

側にいてくれていると思うと安心です』


義母の法要にもかかわらず、ずっと息子のことを想っていた

『お母さんなら許してくれますよね』



私も早く、そちらの世界の一員になれたらいいのに…

そうすれば息子に逢えるのになぁ…