一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

恋しい

梅雨明けからの連日の猛暑

仕事以外の外出は出来るだけ控えたいと思いつつも、用事があって外出

ついでに夏のセールに足を止め、少しだけ人混みを歩いた


帰宅するとドッと疲れが出てしばらく動けない

洗濯物の取り込み、夕食の準備、犬の散歩…

やらなければならないことがたくさんあるのに身体が動かない

以前はウインドショッピングが好きで一日中歩き回っても平気だったのに…

暑さだけでも無さそう、心身共に疲れやすくなった


こんな日は側にいて欲しい

私の大して中身のない話をいつも笑いながら聞いてくれた

本当は興味なさそうな話にも、

「へぇー」とか「そうなの?」とか返事しながら…

息子も忙しくなって家にいる時間も少なくなり、一緒に過ごせる僅かな時間が嬉しかった



一歩外に出ると無意識に探してしまう息子の面影

似た背格好、髪型、好みの似た服装、何気ない仕草、

同じ年頃の青年をずっと目で追ってしまう


あれから2年と4ヶ月


生きていたら息子も少し大人になって、

違った服装を好み、髪型も変え、違った雰囲気になっていたかもしれない

でも私が探すのは23歳の息子の面影

永遠にあの時のまま


時が流れ、私が70歳になっても、80歳になっても、

皺くちゃなおばあさんになっても(それ以前にお迎えが来るのを望むけど…)

いつも23歳の息子の姿を想い、涙するんだろう

とても切ない


今日は街中で若者をたくさん目にしたせいか…

いつもより、より一層、息子が恋しい


会いたい

生きるということ➁

先日の続きです


ここ1ヶ月体調が思わしくないのに放置、

そこに決定打的な症状が出たので慌てて病院で検査することになりました


そういえば毎年受けていたがん検診、

息子のことがあって以来3年近く足が遠のいている

先生には怖い言葉で脅され、検査結果の出る10日後に来るように言われ、

「それより早くTELするかもしれないです」とも…


「今回ばかりは…とうとう来たかな」

意外にも動揺することもなく気持ちは落ち着いていました

「これで息子に会える」


迷った挙句、家族にも話すことに、

目に涙を溜めて黙り込む娘

「大丈夫!医学書なんか当てにならないよ」いつもの楽観視を想像してたのに…


その姿を見て胸がざわつきました

「仲良しの弟を亡くした娘、今母親である私を失えば誰と気持ちを慰め合えばいいのか」


それにワンコ

私が泣いているとそっと側に来て‘元気出して’とばかりに顔を舐めて慰めてくれる子

大好きな息子と会えなくなって悲しみの中、またお別れなんてさせられない


そんなことをあれこれ考えているうちに、落ち着いていたのが嘘のように、胸が締め付けられるような恐怖


電話のベルも、留守電のランプも怖い…

結果を考えると胸に熱湯が注がれたように熱くなって息もできないほど

とても長い長い10日間でした


あぁ、私は生きたいと思ってる

「一日も早く息子の元へ行けますように」

毎朝神棚にお決まりのお願いをしていたのに…



結局、今回は‘認められず’でセーフでしたが、

念のため、3ヶ月後にもう一度検査と言うことになりました、ひとまず安堵です


自分でも意外

「もうどうでもいい、どうなってもいい、

息子のいないこの世になんか未練はない!」

と思ってたのに…


息子のいないこの世に希望が持てない、

息子に会いたい、

その気持ちに変わりはありません

でも‘死にたくない’と思っている自分がいました

驚きました



「ごめんね、お母さんまだあなたの元へは行けない、

◯◯ちゃんを信頼できる人に託して、せめて最初の出産は手伝ってあげたい、

それにナッシィが天寿を全うするのを見届けてからじゃないとね、

せめてその2つをクリアするまで待っててね、

ごめんね」

と息子に報告


気のせいか、

息子の「それでいいんだよ」の声が聞こえたような気がしました



自分の真の気持ちを知ったように思います

もう安易に「早く息子のところに行きたい」と口にするのはやめようと決めました


そうではなくて、

いつの日か息子に会うことを許される日が来るまで、

息子を想いながら、息子と共に生きいく

人として正しくありながら


もしかしたら、いつも弱音を吐いている私に喝を入れるために息子が仕組んだことかもしれない


あなたの想い、ちゃんと受け取ったから大丈夫!

母さん気が付きました、ありがとう

生きるということ ➀

熱海の土石流、難航している捜索活動

今日も発見に至らず多くの行方不明者のニュースに

度々訪れた熱海を思い出して胸が痛みます


警報も出されない中、いつもと変わらぬ日常を送っていた方々が突然の土砂崩れに巻き込まれて命を落とす

自分が亡くなったことさえ気付けずにいることでしょう


生と死

息子のことがあるまでは対極のことだと思っていた私

でも実は隣り合わせ、紙一重のことなんだと…

悲しいニュースを目にする度に更にその思いは強くなります

つい先程まで元気に笑っていた人が一瞬で消えてしまう

生み育てる苦労、長い年月慈しんでいた命が一瞬で…


大切な家族を失った者は、この答えのない悲しみをどうやって受け入れ、乗り越えていけばいいのか

私も未だ分からず、心彷徨っています


ただ最近思うのは

私達が生きていることは奇跡なんだということ

生かされて、生きることを許されているから

今ここに存在してる…


いつ何時、「はい、終了!」とお迎えが来てもいいように、今与えられた環境の中で自分の人生に誠実でなければいけないと思うようになりました

たとえそれが最愛の我が子を失った、希望の持てない運命の中でも…


そんなことも息子が教えてくれているように思います

今も息子は私をいろいろな面で支え、導いてくれている

息子に出会えたことに心から感謝です

こんなにも愛おしいと思える存在があること…

それはとても幸せなことなのかもしれません



実は最近、少し心境の変化が…

長くなりそうなので

その話はまた後日にします m(_ _)m