一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

きっと宿命…

私の職場は重度障害者施設

事務職なので直接関わることは少ないけれど、それでも毎日対応に追われる


ほとんどの人が自力では動けない重度障害

年齢も20〜30代の若い人が中心


働き始めた頃は可哀想という気持ちばかり先行して、健気に頑張る姿に涙が出ることも多かった

そんなわたしを見て、上司が

『あの子達は可哀想ではないんです。少し不便なだけ。

その部分を補ってもらえたら私達と同じなんですよ。』

無意識だけど差別している自分を恥ずかしく思った

そうか…私達と何も変わらない…同じ…


お母さん達も明るくおしゃべり好き、お料理やアイドル話で盛り上がり、ごくごく普通の、私が今まで接してきた母友達と同じ

ただ、この笑顔の陰にどれだけたくさんの涙を流してきたんだろう…

ナーバスになりがちな私はすぐそんなことを考えてしまう…

いけない、いけない…


でも一つ言えることは、悲しみを乗り越えてきた分、明るさが一段上、肝が座ってる

思い切りがよく逞しい



障害を持って生まれる


たまたま神様に選ばれた人だと思う

何にも特別ではない

神様がこの世に必要だと思うから誕生させた人達

きっと宿命…


宝くじに当たるように、運よく(悪く?)障害者の矢が当たってしまっただけ


それと同じで、息子もたまたま自死という矢が当たり、それを宿命として生まれてきたような気がする


それは何かを学ばせるため

その経験から何かを感じ取らせるため



だから今頃は神様の元に戻り、この世での自分の使命を果たし、「ご苦労様」と慰労されているはず


息子を失った私は寂しくて悲しくて苦しいけれど、意外と息子はこの世での使命を果たし達成感で満足しているのかもしれない


そうであってほしい…


息子を失い、今まで想像したこともないような絶望を知った

できればこんな経験したくなかった


でも…


無言の中にも、壮絶な苦しみを抱えて生きていかなくてはならない人がいることを知った


その心に寄り添い、思いやれる人間でありたい


私も強くなりたい

息子のため、家族のため、

そして自分のために