一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

友人との食事会

11月に入ってから、友人から連絡が立て続けに入るようになった


新米主婦の時からの友人

以前の職場の仲間

大学の時の仲良しグループ

高校からの親友


今年は連絡取り合うことも少なく、この状況での会食もお互いに気が引けて誘い合えずにいた


会えない状況に少しホッとしていた私

どんな顔して会えばいいのか…


でも少しコロナにも慣れ、気を付けるポイントもわかりつつあった今月の初旬、立て続けに連絡が入った


年末も近づいて、このまま会わず仕舞いにも淋しさを感じて、少し早めの「今年のお疲れ様会」


以前のように、喜んで…というわけにはいかない

なぜなら

息子のことは親戚と息子の友達、そのご家族関係にしか話していない

私の友人には亡くなったことさえ話していないから


会えばやっぱり話題は子供のことになる

「⭐︎⭐︎君どうしてる?もう就職決まった?」


そんな時はこう言おう…と思っていたセリフを平気なフリしながら言い、話題をそれとなく変えていく

気がとがめるけど話す勇気がない


何度も話そうと思った

でも、その場の雰囲気を崩してしまうことが怖くて話せなかった

次回は…と思いながら、一年が過ぎてしまった

友達に話せない自分が情けなくて、何よりも息子に申し訳なくて、息子を失った悲しみと同時にその自己嫌悪にも押し潰されそうだった

苦しかった

でも今はもう開き直って、ずっとこのままでいい

何かのきっかけで知られることになった時、その時話せばいい

そう決めたら楽になった



友達の中にはお子さんのことで悩んでいる人が意外と多い


引きこもり、発達障害、自主退職〜無職

みんなそれぞれに悩みを抱えながらも、こんな場では明るく気にしてませーん的な発言をしている


「生きていてくれさえしたらそれでいい」

私の本音はそうだけど…

それは子供を失った私だから言えること


皆んな自分の悩みが一番辛く苦しいことだと思っているに違いない


生きていればそれはそれで悩みは尽きないもの

いくつになっても子供は親の一番の心配の種だから


でも生きてくれているんだもの、それだけで充分

羨望の思いで話を聞いていた


親の介護、夫への不満

冗談まじりに笑い飛ばしながら、皆んなストレス発散している様子

また会おうねと約束して別れた


今月は慌ただしかった


友人に会うと、楽しいだけでは終わらない

必ずそこに辛さも付きまとうようになった

仕方ない

私が全てを打ち明けられないから


そのせいか…

人と会った後は必ずやどんより気持ちが落ち込む

美味しいお料理いただいて、たくさんおしゃべりして

それでは意味ないのに…


それでも出向くのは

今まで築き上げてきた友人関係を失いたくないから

執着…なのかもしれない


息子は…

何より友達をとても大切にしていた

友人の輪を乱すのを一番嫌った

それなのに、一切執着することなく逝ってしまった

息子の潔さ

変な言い方かもしれないけれど、尊敬にも似た気持ちになる



悶々としながら…

11月も終わろうとしている

ごめんね ⭐︎⭐︎君


今年もあと1ヶ月…