一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

2回目の命日に思う

先日2回目の命日を迎え、三回忌法要を終えました


桜の便りもちらほら耳にするこの季節

春一番とか、春の嵐とか…

春の到来を心待ちに浮き足出すこの季節は

私にとってこの上なく辛い季節です


カレンダーの日にちを追っては

2年前の今日、息子が帰らなくなった日

2年前の今日、夫と一晩中息子を探し回った

2年前の今日、捜索願いを出しに行った

2年前の今日はまだ息子は生きていた

助けることができたのに…

毎日そんなことばかり考えながら過ごす日々



今更ながら、

息子は私の生きる希望、

息子の笑顔は私の太陽だった

と噛み締めています


だから…

息子のいなくなったこの世界は

太陽のない真っ暗闇

出口のない永遠の暗闇

生きる意味を見出せない世界


泣き言ばかり言って、

嘆き悲しんでも息子は帰ってこない

息子を苦しめているかもしれない

上部だけでも元気に振る舞いたい


頭では分かっていても

周りの人の言うことが正しいと分かっていても

心が付いていかず、

2年前と同じところで、現実を受け入れられずに彷徨っている


喜び、楽しみとは無縁に

この暗闇の中で生きていくこと

それが息子の大切な‘生’を守れなかった

私の、息子への償いなのだろう

そう思うようになりました



大好きだよ、⭐︎⭐︎君、

母さんはあなたを心から愛している


私のこの最上級の愛を

どうやってあなたに届ければいいのでしょう




命日に、息子の大学の山岳部の仲間たちがお墓参りの後、自宅にも足を運んでくれました


総勢10人もの男子が

飲んで、食べて、明るく息子を偲び

私達を元気づけようと陽気に振る舞ってくれる様子がたまらなく切なくて、


社会人になった人、大学院生、大学生

先輩、同期、後輩と、

わざわざ新幹線で来てくれた人も…

皆さんの優しさが、嬉しくて、有難くて、

心が震えるほどの感動と共に

‘こんな仲間に囲まれていて…なぜ…’

の思いが頭をよぎる


同じ志を持った仲間と共に過ごし、友情を築き上げてきた息子

充実した、中身の濃い毎日を送っていたのに…


長さだけが重要ではない

と自分に言い聞かせても、

でもやっぱり若すぎる、早すぎる…




毎年この季節を悲しみと共に迎えることになるのでしょうか


心を無にして、時間が流れていくのをただ耐え忍ぶしかないのでしょうか


あと何度この季節を乗り越えればいいのだろう



私は、春が嫌いになります