一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

義母の法要に思う

今日も息子が恋しくて流したたくさんの涙


目にするもの全てに息子を重ね合わせ、思い出に浸っていると、忘れていた息子との思い出が甦り、息子と過ごした23年の歳月の幸せを噛み締める


一日中息子のことを考えてしまう、会いたいと願う


泣かずに生きていきたいと思っても、

笑って一日を過ごしたいと思っても、

息子を守ら切れなかった懺悔と後悔の思いが、

それを許してはいけないと言っている気がする


時々、

今日は息子が帰ってくるような気がして

足早に帰宅する

出かけると無意識に息子の面影を探している


今でも、

いつか帰ってくるような…

やっぱり息子はどこかで生きているような…

私の知らない所でもいい、元気でいてくれたら

と願っている自分がいる


浮かぶのは息子の無邪気に笑っている優しい笑顔

穏やかな声


これって、息子の死を受け入れられていないということなのかな




今日は義母の三回忌法要だった

義父も高齢で参列できず、

主人の弟も昨年末より体調を崩し、

コロナもあって、主人と義母の弟と私の3人だけの法要になった


主人のお寺では僧侶13名で同時にお経を詠みあげる

厳かで荘厳な法要

聴いてると気持ちが落ち着いて、

仏様に守られている、何も怖いものなどない

そんな気持ちにさせてくれる


年齢のせいなのか、息子のことがきっかけなのか、

お線香の香りとお経は私を癒やしてくれる


息子が逝って3ヶ月後に旅立った義母

『お母さん、⭐︎⭐︎のこと、よろしくお願いします

側にいてくれていると思うと安心です』


義母の法要にもかかわらず、ずっと息子のことを想っていた

『お母さんなら許してくれますよね』



私も早く、そちらの世界の一員になれたらいいのに…

そうすれば息子に逢えるのになぁ…