忘れたい記憶
87歳になる実家の母。
今年のお正月明けに転倒、骨折、入院。
わずか2週間の寝たきりの入院生活で筋力が落ち自力歩行ができなくなり、認知症状まで出始めた。
老人の骨折は命取りと聞くけれど本当。
7年前に父が他界したのをきっかけにシニアマンションに入居し、足腰が悪いと言いながらも天性の陽気な性格とおしゃべり好きで老後を楽しんでいる様子に安心していたのに…
我が家の夫は企業戦士…というか仕事一筋。
朝早く、帰宅時間も遅く、休日出勤も珍しくない夫の代わりに慣れない子育てを手助けしてくれたのは車で20分程のところに住む実家の両親だった。
私が病気した時も、会社を休めない夫に代わって子供達を預かってくれたり、料理を届けてくれたり…
親の有り難さを痛感した。
そのお陰もあって、子供達は親の言うことよりジジババを優先するジジババ大好きっ子になってた。
そんな母にとって孫の死はどれ程の衝撃だっただろう。
あの頃は、毎日TELで1時間近く話した。
私が泣いていると母が慰め、母が悲しみにくれる日は私が慰め…
くる日もくる日も息子のことを話した。
考え方が対照的な私達は時には衝突することもあったけれど、思いがけない考え方に気付かせてくれることもあって救われた。
何よりありのままの気持ちを話せる…
一緒に悲しんでくれる人がいる…
有り難かった。
骨折を機に介護度が上がり母は介護棟へ移り住むことに、その途端にコロナで面会禁止。
4ヶ月程TELだけでの会話だったが、先日30分の面会が許され久しぶりに会うことができた。
スタッフの方から聞いていたほど認知が進んでいる様子もなく、同じ話を繰り返すことはあるものの会話は普通通り、一見健康そうで安堵した。
私や娘の健康を心配したり、ナッシィ(犬)は元気?
と写真を見て笑ったり…
ところが話が息子のことになった時、
「⭐︎⭐︎君どうしてる?元気?」と母。
「えっ?」
「⭐︎⭐︎君どうしてる?」
「・・・」
「 ⭐︎⭐︎は死んじゃったでしょ…」
「えっ? どうして?どうして?」
と大きく目を見開いて驚く母。
その顔つきに少し恐怖を感じ鳥肌が立った。
「病気・・、忘れちゃた?⭐︎⭐︎は亡くなったのよ…」
それ以上言葉が出なかった…
不思議な空気が流れた…
「忘れちゃったならいいよ、大丈夫だから…」
そう言うのが精一杯だった。
それっきり、息子の話しは終わった。
TELでも「忘れたい、思い出したくないから敢えて考えないようにしてる」と言って息子の話を避けていた母。
悲しみを記憶から抹消した?
防衛本能?
あの年齢になって孫の死を受け止めきれるはずもないもの。
帰りの車の中、涙が溢れた。
私の中でいろいろなものが…
大切にしてきた、ささやかだけど幸せな時間が…
すべて崩れ去る気がした。
母も息子も可哀想でならなかった。
帰宅して落ち着くと、
‘これでいいのかもしれない’と思えてきた。
大切に慈しんできた孫の死。辛い現実。
忘れられるなら忘れた方がいい。
残された時間を穏やかに幸せに過ごしてほしい。
母の心の中では息子は元気なまま…
その夜、息子のお仏壇に
おばあちゃんのこと許してあげてね。
⭐︎⭐︎のことが大好きなのは変わらない。
好きだからのことなんだよ。
と話した。
天真爛漫な母の行動にみんなでよく大笑いしたっけ。
息子の
『また〜?」呆れた笑顔が見えたような気がした。
でもね…
母さんはどんなことがあっても⭐︎⭐︎のこと忘れないよ。
あなたが残してくれた沢山の思い出は私の宝物。
僅かでも記憶が薄れるのは嫌…
苦しくても悲しくてもずっとあなたのこと鮮明に覚えていたい。
一緒に過ごした23年の歳月
怒ったり、笑ったり、肝を冷やしたり…
たくさんの感動ももらった…
様々な経験を通して、私の人生はより豊かなものになりました。
本当に楽しかったね。
ありがとう…
今までもこれからもずっと大好き。
永遠にあなたは私の宝物だから。
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