一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

悲しみの沼

先日14回目の月命日を迎えました。


一年が過ぎたというのに、ここ最近気持ちがひどく落ち込んでなかなか抜け出せずにいます。

原因はたぶんゴールデンウィーク…


不謹慎ですが、行楽を楽しむ家族連れの姿を見なくてすむと外出自粛に安堵していたのに。

近所のあちらこちらで家族団欒の姿を見かけました。

庭でバーベキューする楽しそうな声、普段留守がちな青年が犬の散歩してる姿に息子を重ねます。

大好きを通り越して溺愛していた愛犬の散歩は進んで行ってくれていたなぁ…


緊急事態とは言っても周りの人達はいつもと同じ。

それどころか、より一層家族の一体感を感じられる日常を過ごしているんだと、取り残されたような孤独感に苛まれてしまいます。



ほんの些細な光景にいちいち心乱される自分が情けなくて、息子に申し訳なくて…

でもどうすることも出来ずに息子の遺影を抱いて泣くことしかできませんでした。



昨年末、霊視鑑定に行きました。

“今はとても幸せにしている” そうです。

よかった…


「お母さん そんな悲しい顔しないで」

「何度もお母さんの頭に入ろうとしたけど弾き返されて入れなかった」


息子の死を受け入れられずにいる私には、どんなに望んでいようとも息子が近づいてこられないそうです。



息子の死を受け入れる…


頭ではわかっています。

大好きなあの笑顔、あの落ち着いた優しい声にもう二度と触れることはできない。

そして私が元気になることが息子への何よりの供養。


でも…

一年以上も会えず、声も聞けない現実を思うと胸がえぐられるような耐え難い感情が湧き上がってきます。

息子はどこか遠い外国にでも留学してる。

困った不精者だなぁ… TELもしてこない。

そのままその国で就職するのかも。

だったら当分帰国できそうにないなぁ。


そんな妄想で自分を誤魔化している私がいます。


いつになったら… どれくらい経てば…

幸せそうな家族を羨望や嫉妬の思いで見ずにすむ日が来るのでしょうか。

亡き息子の思い出を穏やかな心で話せる日が来るのでしょうか。

永遠にそんな日は来ない… そう思えてなりません。



悲しみの沼にはまり込んで、前に進めずただもがいているだけの自分。

悲しむことにも疲れてしまいました。