一緒に富士山登りたかった

息子を想う母のブログです

お久しぶりです

久しぶりのブログです。

しばらくの間、書くこと、読むことをお休みしていました。


いつまで経っても前向きになれない気持ち、

泣き言ばかりの自分の心の内を言葉にすることに意味をもてなくなっていました。



この2ヶ月の間に大きな変化がありました。

息子との思い出の詰まった家を離れ、同じ県内ですが、車で4,50分程の所へ引っ越しをしました。


1年程前から考えていたことです。

誰も私達のことを知らない場所で、息子のことを考えながら静かに過ごしたい。

穏やかな気持ちで、余計な感情に流されずに…


息子との楽しかった思い出、

至る所に息子の姿が見える家、

終の住処と思い大切に築いてきた我が家、

そこから離れることには相当の勇気が入りました。

が、家族で話し合いを重ね、決めました。


息子はどこにいても私達と一緒にいてくれる。

家族の思いを理解して、きっと応援してくれる。


引っ越さなければよかった…

そんな思いに辛くなる時もあるだろうけど、

何度も話し合いを重ねて出した答えに後悔しない…

そう心に決めました。


心が定まってからは順調に進み、家の売却もすぐに、

そしてたくさんの物件を見歩く中で、不思議なほど、導かれるように今の家に決まりました。


同じ県内とは思えないほど自然豊かな所です。

と言えば聞こえはいいけど、かなり田舎です。

買い物は不便になって、さらに歳を重ねたらどうなるんだろう…そんな不安もありますが、今はそんなこと考えない。

その時が来たら考えよう。


住み初めてから分かったこと、

歩いて5分もすると見渡す限り田園風景の広がる場所が、そして少し坂道を登れば市街地が見渡せ、大きな富士山に山々、新幹線の往来も見える。

犬の散歩で毎朝通るこの景色に足を止め、ただぼーっと眺めていると、悲しみでいっぱいの心が癒されていくのを感じます。

自然がもたらしてくれる力の凄さを実感します。


きっと息子が導いてくれたのではないかと思えるほど私達の希望していた環境です。


それに不思議と、この家に息子の姿も見えます。

階段を降りてくる姿、

ダイニングのこの席に座っているな

ソファではここにいるな

息子の部屋もそのまま荷物を運んで作りました。


私の願望が強すぎてそう思うのかもしれないけど、

息子は一緒にいてくれている、

そう信じています。



犬の散歩仲間から、息子さん最近見かけないけど元気?の質問に凹んでしまう自分も、

同じ年頃の息子と毎週のようにバーベキューを楽しむお隣さんの幸せそうな声を嫉ましく思う私の心も、


すべて私の心の弱さ故のことだけど、

でもどうすることも出来なかった心の闇を許してあげてもいいのかな…

息子もわかってくれるよね、きっと…



悲しみは何も変わらないけど、

逢いたい気持ちを我慢する毎日に変わりないけど、


これからは静かに息子との思い出を紐解ぎ、浸りながら、穏やかに過ごしていきたい

そんな思いです。



泣き言でもいいのかな…

前に進めなくてもいいのかな…

行き場のない、誰にも話せない悲しみを、ありのままに…

この場なら共感してくださる皆さんいる

また、時々ブログを綴りたいと思うようになりました。

よろしくお願いします。

31回目の月命日

息子31回目の月命日

会えなくなって2年と7ヶ月

いつもの花屋で準備した色とりどりの花束を

墓前にお供えした

この綺麗な花々が

何倍にもなって息子の元に届きますように



物悲しい秋の気配のせいか

気持ちが下がりっぱなし

何もする気になれず、ため息ばかり出る


以前の私はどこにいってしまったんだろう

友人達とのランチ会、

趣味のトールペイント、観劇、手芸


子供達が巣立った時、空の巣症候群になって泣き言を言わないように、子供達に心配かけないように、

私なりに頑張って広げた自分の世界…

充実した毎日を送っていたのに


今は何もする気になれない


子供達の成長を見守る喜びが私の全てだった

それが根幹にあったからこそ、いろいろなことに取り組め、成り立っていたことを改めて知った


子供を育てているようで、

実は私が、子供達からたくさんの幸せをもらって生かせてもらっていたんだ


息子のことがあって以来、

頻繁に会っていた友人とも疎遠になった

今は高校時代からの親友と、

息子とは関係のない、息子のことを知らない友人達とだけの付き合い


それさえも、息子のことを頭の片隅に追いやって、ほんの一時でも、楽しそうな素振りでおしゃべりしている私を別の私が批判的に見ている、

こんなことしていていいの?

息子はもうこんな時間は持てないのに


息子を亡くして、時間経てば経つほど

自分が何のために生きているのかが分からなくなる

自分のやってきたことが全て間違っていたのではないのか…

自分が何者なのかさえ分からなくなる時がある


頑張ろう、息子のためにも前を向こう、

と思っても長続きしない

心がついていかない

また暗いトンネルの中に戻ってしまう


息子のところにいってしまいたくなる気持ちを

抑えるのが精一杯

前を向いて進むこと到底無理そうだ


ただ生きていてくれるだけで良かった

立派な大人になんかならなくていい

生まれてきて良かったと、日々の暮らしの中にある、

ささやかな喜びを生きる糧にして欲しかった



息子は私の心を照らす太陽だった

ユーモアに溢れた無邪気な笑顔、

穏やかだけど、どこか逞しく頼りがいがある

時にムッとして不貞腐れたようなしかめっ面、

どの息子も恋しくて、逢いたくて、愛おしい


きっと側にいてくれているはずなのに

最愛の我が子の姿も見えない…



月命日に花束と一緒に笑顔をお供えできる日は来るのだろうか

今日もまた涙の月命日だった

30回目の月命日

今月30回目の月命日を迎えた

息子に会えなくなって2年半

長い月日が流れた

息子はすっかりあちらにも慣れたことだろう

それに引き換え私は、息子のいない寂しさに涙する毎日


近頃、日が暮れるのも早くなり、犬の散歩の時間には星が輝くようになった


星の瞬き、それが息子からのメッセージに思える

遥か遠い彼方から、優しい眼差しで

私達を見守り、応援してくれているような気がする

僕はここにいるよと囁きかけてくれているような…

何とも温かい気持ちになる


息子に心配かけてはいけない

悲しませてはいけない



星は昼間でも夜と同じように瞬いている

だけど私達にその光は届かない


電波、今一番の関心事ウィルス、

そして人の心の中の思い、精神、

確かに存在しているのに見えないものがたくさんある


息子もきっと…

息子の思い、魂は、今までと同じように

いつも私達のすぐ側に存在している


そう信じよう

いいえ、それが事実



30回目の月命日に思う


息子を失ったのだから

悲しくて、辛くて、苦しいのは当然

そしてそれは、もう未来永劫変わることはない

私が生きている限り続くこの悲しみを嘆き続けていても何も変わらない



それならば息子の幸せを一番に考えよう


今、私が「息子のために出来ること」


今も幸せでいるに違いないけれど、

更に少しずつ息子の幸せ度がアップするように


私の積んだ徳が息子に届くように


まずは、

出来るだけ笑顔でいよう

(楽しいことが大好きだったから)


思いやりの心で接する

(人の心の痛みのわかる子だったから)


そして、

一日一善

大して取り柄のない私には大層なことはできないけれど、

人様のためにささやかな心遣い、

そんなちょっとした心がけでも

‘チリも積もれば…’


溜まった徳ポイントが息子の幸せに繋がるように…


息子が笑顔でいられるように…